秤屋社長のひと言

徳川美術館をたずねて(2)

2011/03/02

もちろんこの美術館は徳川時代最盛期の財力で数々の美術品が収集されており2~3時間の鑑賞では見つくせません。ただここで申し上げたいことは、美術館のことではありません。江戸幕府八代将軍吉宗侯の同時代に、わが郷土、尾張藩の藩主は宗春侯でありました。おりもおり、本家のほうは後継ぎがなく絶え、徳川連枝の中から選考ということになりました。その結果、紀州藩出身の吉宗侯が征夷大将軍となりました。詳しいことは省きますが、その選考については,御三家筆頭の尾張藩が差し置かれ、第二順位の紀州藩に将軍の座を奪われたという。そういういきさつが絡んだかどうかはしりませんが、この二人はまったく逆の政策で深刻な対立関係になります。余談ですがそもそも、宗春という名前は、八代将軍吉宗侯より、宗の字をいただき、宗春と名乗ったぐらいで、当初は円満であったはずです。

さて、七代将軍の時期、田沼意次が老中筆頭(首相)で、幕府の歴史上、有名な放漫経営、つまりインフレ政策を採用。土木事業など大いに振興させて、日本の経済を活気付けさせました。いまで言う公共投資中心の景気振興策です。その挙句は今でも同じですが、巨大な財政赤字を生み出し、幕府財政は崩壊に瀕します。何せ、まだ貨幣経済は未熟な時代、簡単に今のように印刷機を回せばお金ができる時代ではありません。貨幣を改鋳して品位を落とし増発するぐらいではおっ付きません。借金で首が回らなくなります。そしてバブル崩壊となります。今のように高度に発達した貨幣経済時代でも、自国貨幣が自由に印刷できない国は、ギリシャのようにデフオルトするしかありません。江戸時代のこのころ同じ有様です。金融商、豪商から借り入れた借金が返済不能となっては政権は維持できません。田沼意次は失脚いたします。その跡を受け継いだのが、吉宗侯であります。幕府財政建て直しという大役を担ってのエースの登場となったわけです。ご存知の方も多いかと思いますが、まず手をつけたのはかの有名な数千名といわれる大奥女中のリストラです。どれだけの規模だったかは知りませんが、吉宗侯のアイデアがすばらしい。大奥のリストラの対象となったものは、見目のよい女子からということでした。実家に帰っても嫁の貰い手はいくらでもあるという読み。また選ばれたものも見目麗しいという基準で選抜されたわけですからいやとはいえない。すんなりといけたらしい。この将軍やはり只者ではないと評判が高まります。

秤屋社長のひと言

社長プロフィール

早川静英

早川 静英
35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

  • 早川静英 facebook
  • 早川静英 twitter

略歴

60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
96年環境産業の将来性に着目。以降研究開始。環境問題を研究する異業種交流会アース未来21を主宰する。
04年8月堆肥をベースにした植木鉢の製造ラインを受注。環境産業受注第一号。汚泥処理、生ごみ処理、固液分離装置、水質改善、陸上型魚類養殖事業など環境事業一挙にブレイク。販路は日本より韓国まで拡大中。