秤屋会長のひと言

現代日本と守隨のルーツ探しの研修会

2017/09/14

8月26日より東宝系の映画「関ヶ原」が放映されており ます。司馬遼太郎原著を下敷きに脚本が書かれ ております。日本史上はおろか世界史上でもまれな大大規模の戦闘が行われたとして、 日本のみならず、世界の軍事専門家の研究対象となっているぐらいです。
この関ヶ原戦役は各国の軍事研究機関が好んで取り上げる戦例なのですが、たとえば、ドイツの参謀本部の元帥格の軍人が来日した時、自衛隊幹部が、多分有名な戦役であるのでご存知かということで、この関ヶ原の両軍の直前の戦闘配置を見せて 、どちら側が勝ったと思うかと問うてみたところ、たちどころに、石田三成側 つまり西軍の圧勝と判定しその根拠をのべはじめたそうです。いや実はたった、6時間の戦闘で、西軍が負けたのですというとアンビリバボーと言って絶句したと言います。日本人なら誰でも知っている敗因 なのですが、それを知らない外国人には理解を絶する バトルであったらしい。知らない人には、圧倒的優勢の陣構えの西軍が何故負けたかについて知る社会学のチャンスともなりましょう。

さて内容は見てのお楽しみとして、何故今回この「関ヶ原」を取り上げたのかということに触れておきたいと思います。古来、大規模な戦闘はは数多くありましたが、国の運命を決める決戦というものは数少ない。その代表がこの関ヶ原の戦闘なのです。

もしこの戦闘で、徳川家康公率いる東軍が 負けていたら、徳川幕府は成立せずに終わり、応仁に始まる戦国時代が延々と続き、近代日本国の成立はどうなったかわかりません。もちろん、守隨秤座も存在していないでしょう。我が社の祖先は、この徳川家康公の篤き後援により、1583年に秤座として成り立ち、徳川時代を通じ、300年にわたり、日本の権衝を司り、日本の近代化を支えて参りました。今日現在に至る現代日本の統一国家はこの「関ヶ原」の戦闘の結果生まれたものに他なりません。

何故観にいこうとなったかおわかりいただけたでしょうか。

|||| 映画「関ケ原」の感想 |||| 社長 早川亘
「関ヶ原」といえば昨年の大河ドラマ「真田丸」にて合戦シーンがほぼ割愛されたことが記憶に新しいが、さすがに映画だけのことはあり、迫力のある合戦シーンが展開され、その点では非常に満足しました。結論的に言えば、石田三成の敗北原因は、享年41歳ということで、戦国時代を生き抜いた百戦錬磨の徳川家康を相手に調略戦を展開するには若過ぎた、ということになろうかと思います。家康が上手かったのは、北政所を抑えていたことで、それにより福島正則、加藤清正など豊臣家に対しては忠誠心が強く、敵にすると厄介な武将を、まんまと石田三成を標的にすることで味方に引き入れてしまったところだと思います。家康が万全な基本戦略を立て、それを辛抱強く実行していることに石田三成は気づけなかったのか?根本的なところで勝負は決まっていた。

一方、石田三成は文治派と言われ、頭は非常に切れるものの、自分の感情を抑えることができない性格で、まさに辛抱強く行動することができなかった点が大きく徳川家康に比べ劣っていた。それにより西軍をまとめることができず、打倒石田三成で一丸となっていた東軍に後れを取ることになった。島左近が侍大将として非常に有能であっただけに残念である。また、映画では途中で腕利きの間諜を失ったことになっているが、情報量に差があったのも敗因の1つと言える。

それでも、決戦場では、上田城の真田昌幸のおかげで中山道の秀忠軍が間に合わず、思いがけず西軍有利な状況となった。それに安堵したのか、主戦場に出る前に百戦錬磨の武将島津義弘が提案した夜襲を卑怯だからと却下していたが、ここでもっと動いて少しでも多く勝利を積み重ねて士気を上げ、西軍がさらに優勢、という情報が流れていれば、小早川秀秋をはじめ南宮山で動かなかった武将達も、決戦場で早い段階で西軍として戦闘参加して、勝利していた可能性もあったわけで、やはりそこは戦争経験の無さが祟ったとしか言いようがない。戦争は、圧倒的有利な状況でもない限りは勝つために可能な限りの手を尽くすことが基本だが、あの状況で勝ち方にこだわっている時点で勝ちを放棄したも同然である。逆に東軍は可能な限りの手を尽くしていたと言える。最後に裏切りにより敗北が決定的となり、立て直しも絶望的な状況で落ち延びようとして捕まったわけだが、あれだけの大敗を喫して尚、捲土重来する策が果たしてがあったのだろうか?

基本戦略をブレずに辛抱強く実行できる器量、高い情報収集能力、勝つためにあらゆる手段を尽くす周到さ、これらは企業を運営をしていく上でも非常に大事なことで参考にしなければいけないと思います。

秤屋会長のひと言

会長プロフィール

早川静英

早川 静英
35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

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略歴

60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任

社長プロフィール

早川 亘
72年生まれのロスジェネ世代。南山大学法学部法律学科で法律学を専攻。

略歴

94年名古屋短資(現セントラル短資)入社。日銀直下の短期金融市場で90年代後半の金融危機を体験。
99年(株)守隨本社入社。
2014年同社専務取締役に就任。
2016年同社社長就任
営業から製造まで幅広く業務をこなす傍ら、語学力を活かして海外との交流を積極的に拡大するとともに、2011年のISO9001認証取得時にはQMS構築及び責任者を担当、2015年の指定製造事業者認定取得時には責任者を務め、自社の競争力強化に努めている。