秤屋会長のひと言

ユーモアは剣よりも強し

このところ私の書くブログはなぜか欧米賛歌に終始しており、日本が先祖代々の祖国でありながら日本が信じられないというジレンマに悩んでおります。

この記事も、またしてもということになりましょうが、縁あってこのブログをお読みいただける方には、相応のご容赦を賜りたい。

さて、本テーマについて若干の解説を加えることとなると、欧米人の風習として、非常にユーモアの達人は尊敬され、何かに付けて注目されます。特に、政治家にとってはこの素質は一層の重みを持たせるもので、演説でも、座談でも、何がしかのユーモアないし名言が盛り込まれていない内容のものはあまり歓迎されないかむしろ軽蔑される。有名な政治家のほとんどは、このユーモアの達人ぞろいといってよいのではないかといわれております。

翻って、わが日本の政治家はどうでしょうか?国会での質疑応答ぶり、党首討論会など、全くユーモアのかけらもない、原稿の読み上げとか、同じパターンの繰り返しとかに終始しております。ことなかれ主義の官僚の書く筋書きに沿っての答弁ばかりではこうなります。

しかし日本の政治家の中でも例外は有ります。ここでご紹介する政治家は、戦後の大混乱期にアメリカ占領軍のマッカーサー元帥と渡り合って、日本の国益をしっかり、守り抜いたといわれる、吉田茂首相であります。我々の世代(60歳以上)では誰知らぬ人のない高名な政治家なのです。当時は、占領軍だけではなく、暴力革命も辞さない共産党、社会党などなど左翼の黄金時代で、国会での議席も50~100という確保して、勢力を誇示しておりました。そのなかでの保守政治の運営は、今日、昨日の現実からみれば比較にならない困難を極めておりました。


吉田茂氏はもともと外交官として、第2次大戦前には、イギリス大使を勤めておりましたが、日本の軍国主義が覇権主義に展開し、ドイツ、イタリアと同盟してアメリカ、イギリスなどに対抗し開戦しようとする動きに猛烈に反対し、軍部に睨まれ、ついに、大使を罷免されたという経歴の持ち主です。戦後政治家としてカムバックし、戦後の難局に臨んだ政治家であります。

さてこの人の性格を一言で言うなら、頑固一徹というところでしょうか?戦時中に泣く子も黙るという軍部を相手に、命がけで主義を曲げなかったというところ、なんとなく、靖国参拝の現首相と似てなくもないのですが、この人のあるとき発したユーモアが雰囲気を一変させたという事例をご紹介申し上げたい。ただし、これは私がその場にいたわけでもない、仄聞であることをお断りしておきます。


ある時、議会が解散し総選挙になりました。当時、恒例の日比谷公園での街頭演説から選挙戦の火蓋が切られるのでありました。与党側は、吉田首相を中心にお歴々が壇上に立ち、演説を始めようといたしました。しかし、当時、猛威を振るっていた左翼系シンパの選挙妨害が野次という形で始まりました。寒い冬の2月の朝ですから、みんな、外套を着て、首相は帽子までかぶっていました。それを見て、一斉に野次が飛びます。外套を脱げ、帽子を取れ、わざわざ寒い朝に聞きに来ている選挙民に対して、失礼だぞうという野次が飛び交っております。そこで、壇上のほとんどの人はやむなく脱ぎ始めましたが、吉田首相のみ平然と構えて脱ぐ気配も見せません。帽子もとりません。会場は騒然となってきました。壇上の人たちも蒼白になってきます。それこそ、野次を飛ばす方の戦術にまんまとひっかっててしまったわけです。野次はますます勢いを得てこのままでは、演説会も中止かと思われたとき、吉田首相は、マイクを取り、にっこりして、帽子を軽く取って会釈したかと思うと、"私は、外套は脱ぎません。このまま演説をさせていただきます、即ちこれこそ街頭(外套)演説なんであります"と見事な間合いを取って、やりました。一瞬、静まった会場は次の瞬間、拍手喝さいが始まり、みんな笑顔になり、ついには爆笑が始まり、演説会場の様子は一変してしまいました。まあ、こんなものです。ユーモアの持つ威力は。さすが、ユーモア重視の欧米社会で鍛えられてきた外交官の面目躍如といったところでしょうか。


軍人である純粋さを見せるマッカーサー元帥に対して、老練な外交官である吉田茂首相との出会いは敗戦国日本にとってまたとない幸運であったと思います。我々はこのことを忘れてはなりません。


まだこのほかにもいろいろと、世界の政治家のエピソードを聞いております。次の機会にご紹介いたします。


35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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