秤屋会長のひと言

八丁味噌さんと新しい発見(2)


前回の記事のなかでは触れませんでしたが、筆者の姓も、代々、早川を名乗っております。八丁味噌様も、早川姓。これは何かあると以前から思っておりました。しかし、今回、図らずも、19代の御当主と親しく話し合う機会ができましたので、チャンスと考え、そのルーツについて、お伺いいたしました。結論から申し上げると、かなりの高い確率で両家は一族であったといえそうです。

八丁味噌様のご先祖は、今川家ゆかりの武士で、今川家の本拠地である静岡出身とのこと。そして、ご先祖は桶狭間の一戦で、織田軍に敗れ、今川家の一族は多数が浪人となったわけです。八丁味噌様のご先祖は、三河の岡崎に土地を求めて入植されたとのこと。それ以後のことはご存知の通り。

それでは、わが早川家はというと、遠江(とおとうみ)出身で、当時までは、今川を名乗っていたとのこと。筆者の父親の説話によると、先祖様は、足利義満将軍のころ、九州探題をおおせつかって、九州一円の官選知事職(今川了春貞世)を勤めていたこともあると自慢いたしておりました。しかし、桶狭間の一戦後は、 同じく浪人となり、尾張の旧今川領であった、横須賀に土着。郷士としての身分で、過ごしてきたようです。当時、今川姓では、憚りがあるということで、早川姓を名乗ったというように伝承されております。岡崎の早川さんも、元は、今川姓で、敗戦を機に改姓されたのではないかと、我が家の伝承から推測できます。こういうわけで、岡崎の早川さんと、尾張横須賀の早川のルーツは限りなく近いといえるのではないでしょうか?

あの、参観コースに飾られていた"さおはかり"は、守随製のものでしたが、守随と今川の関わり合いも、歴史の切なくも秘められたエピソードとして伝えられております。次回に。




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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