秤屋会長のひと言

歴史に学ぶ組織強化法(3)


ここで、先生は、歴史上の英雄たちを引き合いに出します。織田信長の例です。日本史上、後にも先にもない、英傑であった、信長も、スタートは、尾張の一土豪に過ぎなかったのですが、天才的な戦上手、又時代を超える発想力で、またたくまに、ライバルを圧倒して、天下統一寸前にまで組織拡大に成功しました。井沢先生によると、天才信長も,初期の段階では、家臣の意見を聞き、とりいれるという形で、組織を運営していった。といって完全な合議制ではなく、あくまでも、家臣に意見を戦わせ、そのなかで、自分の思っている案に近い意見を採用して、合議制の形をとっていたといいます。というのも、昔から日本人の心情として、たとえ優秀なトップでも、合議なく一方的な決定で組織を動かそうとすれば、実行側の心理的抵抗作用が起きてきます。この件について、井沢先生は、現代まで続いている、談合などに象徴される「和の精神」の存在を指摘されております。かって、小生もこの点を指摘した小稿をブログに書いております。1400年前に、起こされた、聖徳太子の憲法12条にある、「和をもって尊しとする」という根本理念は現代に至るまで連綿と引き継がれております。しかし、信長は、版図を拡大するに及んで、合議制を放棄してしまいます。常人では起こしえない奇跡に近い数々のオペレーションは、信長の自我を無限大に拡張してしまった。もうこうなれば自分の天才は神に等しいとまで考えるようになり、手間隙かかる合議などやつてられないというところまで行ってしまいます。安土城が建設されたころ、場内に、祭り場を作り、ご神体を安置し、実は何の価値もない,石が置かれてあるだけなのですが、登城のたび、これを「余の代わりとして」礼拝せよと家臣に命じております。ここから先は、井沢先生は言及されなかったのですが、日本最高の権威である天皇家を凌ぐ位置に自分を置き換えていたと当時も今も思われております。何せ自分は神なのでありますから。ここで、当然、家臣団による合議制など、あっても無きが如しとなります。自分は何をしても正しいと確信すれば、いちいち、おろかな人間の集団に意見を聞くまでもなくなります。これは部下にとっては、トップが何を考えどういう決定を下してくるかは、まったくわからないという状況下に置かれます。家臣団はあすのことはわからない、パニック状況に陥ります。これは現代でもどこでもある、組織運営を放棄した、ワンマン社長の暴走の悲劇ということになります。現代であれば、命まではとられませんが、当時では、ひとつ違えば、一族郎党、命の保障はありません。その恐怖心たるや、なみたいていではありません。結果はご存知のとおりです。



これによっての教訓は、いかに優れたトップといえども、神ではない。間違いは犯すものである。という前提で、如何にそのリスクを軽減させるかということになるわけです。組織が下す決定は、たとえ、合議制であっても、間違いは犯します。ただ、合議制の場合は、トップの意思が、構成員の全員に伝わっており、その提案に関して、十分に協議されている場合は、たとえ、失敗に終わっても、トップに対する不信感は決定的なものにはなりません。むしり自分たちの力不足によりという反省が芽生えます。そして次には何とか成功させようというエネルギーに転換される可能性があります。トップが独断決めたことであれば、失敗に終われば、部下たちは、われわれにろくな相談もなく実行させたからこうなったという言い訳につながります。もちろん自分たちの怠慢はさておいてということになります。井沢先生は、この民族的特長は、聖徳太子の憲法から、1300年たった、明治維新の新憲法「5か条のご誓文」にも引き継がれていると説明される。広く万機公論に決すべしというあの有名な条文がそれでしょうか。先生は、苦笑交じりに、日本の談合好きも、欧米風な徹底した自由競争を嫌い、「和の精神」の基づく精神の発露であるといわれております。説得力ある説明と納得されます。ここでの組織強化法は、トップの意思を、合議制を通じて構成員に徹底させられるような仕組みを作り堅持するということでしょうか。(続く)




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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