秤屋会長のひと言

歴史に学ぶ組織強化法(5)


堅固な組織作りに成功して、250年にわたる政権維持に成功した、徳川幕藩体制は、いかにして崩壊の道をたどったかという視点からの考察もこの稿の締めくくりとして興味あるものと考えます。もちろん、小生の拙い歴史考察ではありますが、一読ください。



幕府が崩壊した事情というのは、表面的には、当時の、欧米列強の帝国主義的外圧と、これと結んだ地方有力大大名、朝廷内一部勢力による政治的謀略等に、適切な対応ができなかったというように考えられます。しかしこれは、徳川幕府でも対応不可能ではなかったはずです。問題は、家康公が組織した、幕藩体制に、大きな変化を生じさせた事件がおきたことによる、組織崩壊が原因と考えます。それは何かということです。小生としては、桜田門外における,井伊大老の暗殺事件、これを機に、日本の政治事情は、大きく転換するきっかけになったと思います。



当時、幕府側としては、難局に対応できる最大の実力者である、井伊大老をもって、複雑な政治事情を打開すべく、体制を固めました。当然のことながら、開国への準備を始め、反対勢力への弾圧〔安政の大獄〕も辞さない強権を発動したわけですが、これを、なんと、将軍家の一族(水戸家)の家臣が決起して、暗殺に踏み切るなどという行為に出てしまったのです。250年続いた、将軍をいただく、幕閣合議制の鉄則は、将軍一族自らの組織破壊によって破られてしまったのです。この後は、家臣団からの対応は不能ということになり、将軍独裁とならざるをえなくなります。世事に疎いボンボン社長による経営は、破綻にむかってまっしぐらということになっていったと考えます。組織が環境に不適応になり、崩壊していくケースはどこにでもあることですが、建て直しを始めたのにもかかわらず、自ら自己破壊していったということは、政治的に自殺をしてしまったということですね。これで幕藩体制はおわりました。



これより、開国派と攘夷派とに分かれて、外圧を前にして、国内が分裂騒ぎをより深刻化させていくのですが、当事者能力を欠いた将軍親政にもかかわらず、最も恐れられた、外国帝国主義勢力による国内分割割譲が起きなかったことは特筆すべきことではなかったかということです。



これについてはやはり日本人の特性が大いに働いたものと、心和むものがあります。つまり"和の精神"です。幕府対新興勢力の軍事的対立は、それこそ、外国が付け込む絶好のチャンスなのです。幕府側には、フランスがつき、新興勢力には、イギリスがつくという構図になっていたわけです。両者が、徹底的に国内戦に踏み切った場合は、当然,外国勢力の軍事力に助けを求めざるを得ないところです。どちらが勝つにせよ、戦後処理には援助した諸外国が介入してきます。しかし、日本はそういう事態をたくみに避けました。大政奉還,江戸城無血開城など一連の幕府の行動とそれを許容し朝廷も含めた新興勢力の基本的な"和の精神"の発露。これが日本の分裂と植民地化を防ぎました。しかも、国内の人民にはほとんど被害を与えず、ある意味で、平和裏に政権が移譲されたのです。諸外国の思惑は見事はずれました。日本人にとってこんな幸運はなかったといえます。



聖徳太子様ありがとうと言いたいところですね。とまあこんなところが、長々と書いてきました結論です。こんごとも、われわれ日本人は、組織運営にかかわらず"和の精神"は忘れてはならないと考えます。

(終わり)




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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