秤屋会長のひと言

日本のお城と外国のお城の相違点と一致点について


外国旅行が大変盛んで、特に07年に定年を迎える老カップルのご苦労様旅行が目立つ昨近であります。小生もご多分に漏れず、ヨーロッパなど観光旅行に付き合わされております。



先ほど、誘われて,南仏を中心に、世界文化遺産を5ヶ所回るツアーに参加いたしました。例によりシルバー世代の体力テスト用に組まれたのではないかという、強行日程。一日に300kmぐらいの、バス移動は常識。体全体がバスの振動で、白蝋病化するのではないか?虫歯が疼きだし帰ったら、必ず歯医者へ行くぞと決心させてくれたり、健康に関する反省と関心度を高めてくれる効用はありました。



余談はさておき、外国の17世紀以前のお城は、同じ時期の日本のお城のありようと、コンセプトが全く違うということに気がつきました。どこが違うかということですが、日本のお城は、一般市民は,つまり、士農工商のうち、士のみを守るために作られており、農工商である一般市民は、お城とは関係なく、何の保護も与えられておりません。いざ戦争となったとき、お城にこもるのは,士のみです。ところが、東洋西洋を問わず、外国のお城はどこも例外なく、戦闘員も、一般人も含めた地域住民のすべてを囲い込んでおります。これは日常生活からしてそうなっているのです。



簡単ですね、日本は同民族間の闘争で、上部構造の、士階級の攻防がすべてです。一般市民は士階級の統治者が代わるだけのことで、戦争とは関係なかったからです。もし戦争中に、一般市民に対して必要以上の収奪暴行行為があれば、統治者となったときに、信服されません。次の挑戦者が現れれば、一般市民は、どちらにつくか判りません。



ところが、ヨーロッパ、中国等大陸国家は、異民族の侵入に対しては、一般人といえどもすべて、略奪暴行殺人の対象となるのは当たり前です。日本のようにお城の外で、侍同士の、攻防戦をのほほんと見ていりゃいいという次元とはわけが違います。



味方の軍隊が負ければ、成人男性は皆殺し、女子供は奴隷に売り飛ばされ、財産のすべては略奪されるという厳しい現実を前提にお城は作られております。異民族同士の戦いは凄惨なものです。南仏のカルカッソンという世界文化遺産の都城は、お城の中に生活インフラ何もかも揃っていて,すべての日常生活に必要な商品は自給できるようになっております。勿論、その地域の住民は、お城の中で生活します。牧畜、農業,交易などは、城外で仕事することになりますが、生活の基盤はあくまでも、城内です。しかもこの城は歴史が古い(西暦8世紀ごろ民族大移動時代)ために住民を守るために念入りな築城しているなと実感されます。そのために有名なのですが。



まず深く広い外堀があります、これは常識ですね、そして高さ20メートルを越す,外周を囲む第1の城壁が待ち構えております。そしてそれからやはり50メートルぐらい内部に、第2の城壁がさらに高くめぐらされております。まあこれを見たら攻める方も相当の犠牲を払わないと,落とせないと覚悟させられます。このカルカッソン城はフランス、地中海諸国、スペイン、イタリアに近く、交通の要衝にもなっております。多種な民族がほしがる地域ですね。戦争に使用される武器が、弓や鉄砲のたぐいのうちは、まず落とせない。この要衝の地は、異民族が攻めてきても、支援戦闘部隊が準備して来援まで長期間持ちこたえることができます。国家的に見ても、やすやす敵には渡せない。必ず支援部隊は来るわけです。それで、奇跡的に1200年もの間、築城当時のまま威容が維持できたものと思われます。城内で1泊したのですが、ホテルはこじんまりとしたプチホテル。廊下などは、寝台車のような、ようやく2名がすり抜けられるぐらいの幅。狭い城内のホテルなんだからしようがないでしょうと妙に納得できるたたづまいでした。


さらに気がついたことは、大体、日本も諸外国も、大砲という武器が出現するに及んで、城壁の守りが守りにならないということになったのではないかということです。ここでお城の様子が激変するわけです。日本でいえば、豊臣家と徳川家の大阪城をめぐる攻防戦で徳川がたが大筒を使用するに及んで、ついに、城壁は意味を成さなくなります。それ以後の戦いは野戦にならざるを得ません。ナポレオン時代(18世紀)のヨーロッパ戦争はみんなそうですね。お城はお役ごめんということになりました。その時期が、日本では17世紀初頭ということになります。これ以後築城されるお城は、単なる、君主の居城として、自己の勢力の誇示に作られただけとなります。軍事的な意義は消滅いたします。これは諸外国も同じです。17世紀以後に建国された、新しい国家には、要塞としてのお城はまず見当たりませんね。カナダ、アメリカ、南米、ニュージランド,オーストラリアなどなど。



そういえば、世界的にも有名なお城の中の城、ドイツ、ロマン街道に近接した小高い山の上に聳え立つ、19世紀に立てられた、ノイエシュバンシュタイン城(白鳥城)などはもう戦争目的など微塵も感じられません。さながら美術工芸品の巨大秀麗な収容庫といった印象です。その財産を守るための警備に必要な城壁は作られているなという程度のものです。



同じ、城として、オーストリアの首都ウイーンも昔は、堅固な城壁に守られた要塞であった。特に東方から来る異民族(トルコ)の攻撃に対してヨーロッパと、異民族との境界線近くににあったのですが、極めて有力かつ頑強なお城でありました。何世紀にもわたって異民族の侵攻が繰り替えされたのですが、城は守り通されました。しかしここも、19世紀になると、やはり要塞としての機能は失われ、ハプスブルグ家の王様は伝統の城壁を取り壊して、開放的な都市空間のほうを選び、現在の、なんともいえないおしゃれで、緑豊かな史跡音楽都市に変貌させました。要塞としてのお城のイメージはまったくありません。市街地を取り巻いて円形に城壁の跡は、現在なんと、複線の路面電車が走っており、どこの史跡、美術館、歌劇場を訪ねるにしても便利なアクセスが確保されております。大変便利でした。市の中央部は、自動車乗り入れ禁止、馬車のみという優雅さ。



日本に関していえば、17世紀初頭の大阪城をめぐる攻防戦が歴史上、最後の城攻めということになるのでしょうか?それ以後もお城は作られたのですが、もはや、戦争目的のものではなく、君主の威容を示すためのステイタス、ないし、シンボル化してしまいました。こんなところは洋の東西を問わずといったところでしょうか、こんなことを、せわしない、ツアー戦争の中を駆け抜けながら考えておりました。これから出かけられるかたへの御参考までに。


35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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