秤屋会長のひと言

映画「硫黄島からの手紙」を観て(4)


さてそんななか、硫黄島における、栗林中将のあり方はどうであったかという本題に入りたいですね。ここにも、着任の裏には、幼年学校を経ず、中学から、士官学校、陸大を出たコースは準キャリアで、幼年学校から上がってきたキャリアの陸大を出た人間より、昇進は遅れていた。しかも、アメリカに6年駐在して、アメリカの底力をつぶさに見てきた栗林中将は、アメリカとの戦争は絶対に無理と断言することにより、中央の軍幹部にらまれ,死地である硫黄島に送られたとささやかれているという。梯久美子著「散るぞ悲しき」栗林中将。にかかれております。ちなみに映画鑑賞後、買い求めましたものです。全篇を通じて涙なくして読めませんでした。一読をお奨めいたします。

栗林中将が着任を承諾する前には、他に推薦された将軍がいたのですが、何とか理由をつけてことわったといいます。勿論、死にに行くことになるわけですから誰しもいきたがらないのですが、職業軍人として国家に自分の命は捧げているはずではないでしょうか。それを断りまたそれを黙許して他の者を当てるなど、特権階級の義務を忘れた行為が許されていたこと。これこそ腐敗現象の象徴です。しかし、栗林中将はわかっていて引き受けた。太平洋戦争も、この時期すでに勝敗の帰趨は決していたのです。最終防衛ラインが硫黄島に置かれていたのです。ここが陥落すると、日本列島のいかなるところも、B29の爆撃機が護衛戦闘機の援護の下、容易に到達できることになるわけで、制空権が最終的に失われることを意味するわけです。現代の戦争での勝敗はどちらが制空権を握るかに掛かっております。中将は、この島を一時でも長く確保していることが、日本国民の安全を保証することになると考えてその目的のために防衛線は如何にあるべきかということを合理的に考え、その独自の判断の下での対策を講じるわけです。 それまで、南洋諸島の日本基地の防衛は、先ず水際で、上陸してくるアメリカ軍を邀撃し、海に追い落とす。という戦法の一点張りでマキン、タラワ、ペリリュウ、サイパン、グアムと戦ってきたのですが、その単純な戦法は、アメリカ軍にすっかり読まれており、上陸の前に物量にものを言わせた、徹底的な空爆と、艦砲射撃で容易につぶすことができ、上陸実行時には日本側にはほとんど抵抗する兵力が残っていないという体たらく。そして10日ともたないまま、玉砕攻撃で終了。それをまた硫黄島でもやらかそうと、本国から来た参謀、これこそ、キャリアの連中が水際作戦を主張するというお粗末。これは大本営の方針ですと強制する。すでにそこには当事者能力が欠けた、単なる学校経歴だけの権威しか持っていない存在でしかない。勿論栗林中将はその命令を拒否します。すでに死を覚悟している人間に怖い者なしですね。中将の戦略は、すぐに、つぶされる水際にはせいぜいおとりぐらいの陣地を作り、島内のいたるところに地下壕を掘りめぐらし、空爆や艦砲射撃には十分耐えうるようにして兵力を十分に温存してというこれまでとはまるで、方向転換した方針で準備をいたします。こあたりのことは映画が克明に描いております。アメリカ軍は、例によって日本軍はワンパターンの水際作戦でくるだろうと予測してたぶんこの小さい島なら5日間で落ちると考えて侵攻してきました。

(続く)




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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