秤屋会長のひと言

国内最大級電子式吊はかり、100トン完成2


思いがけない提案を出してくれた女子社員は、わが社へ来る前には、造船所の経理事務のアシスタントをしていたのですが、在社中、朝夕、窓越に眺めていた風景を思い出してくれました。どこの造船場にも、途轍もない大きな、門型クレーンが巨大な鳥居みたいに君臨いたしております。これらは楽に50トン100トンの機材を吊り下げることができます。これを利用したらどうですかということでした。なるほどなということになりましたが、果たして借用ができるかということが問題になりました。シャイな社長はその交渉ごとが気になり黙り込んでしまったらしいですが、その女子社員がそれなら私がということで、元の職場の上司を訪ねていって、懇願してくれました。たまたまその上司が実力派で現場を説得してくれて、1週間という期間を限って貸し出すということになりました。これは私の憶測ですが、多分その頃は造船大不況がきていたのではないでしょうか。そうでなければそう易々とは貸してはくれませんよね。その女子社員がわが社に来たのも一種のリストラのせいでしょう。



これで吊り下げに関する問題は解決いたしました。次の難問は検査工程における必要な人員の確保です。何せ、2000個の分銅を何回積んだりおろしたりするのか、予測できません。自社のみの人員では到底覚束ない。はっきりとした人員は聞いておりませんが、10人から15人の助っ人が必要ということになったのではないでしょうか。当時分銅は、愛知県庁の地下室に積み上げられており、狭い通路内を、分銅を運び出し、トラックに積み上げ、それを、港区の造船所まで運ぶわけです。まあそれは予測可能な作業量ですが、いざ、検査工程にはいると、ハカリの出来がよければ、2~3回の上げ下ろしで済みますが、屋外での作業でもあり、また巨大なはかりの製作も手さぐり的なものであり、作業量は予測できません。またしても暗礁に乗り上げです。



続く。




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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