秤屋会長のひと言

徳川美術館を訪ねて(5)

こうして両極端な政策が同時進行など、歴史的に見て、ありえない珍現象ではないでしょうか。そしてとどのつまりはどちらも破たんであります。お互いに我のほうが正しいと信じてとった政策が共倒れとなりました。吉宗侯の方は、デフレの行き過ぎを補うため、通貨の増大をはかり、既成の貨幣の改鋳を実施して流通過程に、改悪した劣位の貨幣を増発、ばらまきデフレを止めました。しかし、現代なら何でもない政策でも、江戸時代では貨幣改悪の悪評となり、せっかくの吉宗侯の善政も落花の結果となりました。もう一方の宗春侯のほうも、この時代の制約は厳しく、藩の財政はひっ迫し、結果的にはどちらも同じ軌跡を描いて終わりました。


このことは、私見によれば、やはり鎖国政策が経済の発展を阻害していたことは明瞭で、稲作収入による国家財政の上限は極めて低く、経済規模を決める通貨の発行は大きな限界を持っていたといわざるを得ません。もし、信長、秀吉、つまり織豊政権時代のように、開国し、列強と世界制覇を競う政策に打って出ていたら、国際交易からくる収入が財政を潤し、どれほど巨大な国家財政を作り上げることができたか想像に難くありません。当然世界でヨーロッパ勢とは衝突いたしますが、軍事能力としてはすでにあの時代、スペイン、ポルトガルなどとは、互角以上に渡り合えたのではないでしょうか。もちろん、列強にフランス、イギリス、ロシアが加わってくるとむつかしくなってくると思われますが、この時代はまだまだフランス、イギリス、ロシアも弱勢で、また地理的障害が大きな壁となっており国を失うほどのことまでには至っていないでしょう。もちろん現代のように通商オンリーで行ければいうことはないわけですが。ともかく徳川家の祖法は“鎖国”であります。大航海時代に大きく乗り遅れる結果となりました。そして現代の世界地図の原型がほぼ出来上がるころ、徳川家は鎖国の終了と同時に政権を失う結果となりました。鎖国を決定した徳川家康公は泉下でどのような感慨になられたことでしょうか?幕末、勢力を持ってきたのはいずれも鎖国下、公然の秘密の密貿易で大きな利益を上げていた、薩長土肥の雄藩でありました。もし遅くとも、吉宗侯の時代に、開国に踏み切ったら日本の運命はどうなっていたのであろうか?太平洋の島国(ハワイ、オセアニア等)およびカナダ、西部アメリカ位は日本の領国になっていたかもしれません。移民などの平和的措置により行うものですが。宗春侯などはハワイに乗り込み、アロハシャツでフラを踊られバーボンウイスキーなどがぶ飲みなどされていたかもしれませんね?だいぶ脱線いたしましたごめんください。終わり。




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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