秤屋会長のひと言

想定外事件の2件(その1)

想定外事件の2件(その1)


イヤー驚きました、なでしこジャパンのW杯優勝。今年に入り未曽有の大事件がわが日本に勃発いたしました。もちろん福島第1原発事故を同じ範疇に乗せるのは不謹慎かもしれませんが、想定外というキーワードでくくればということでお許し願いたい。


 日頃あまりサッカーには興味がないのですが、今回ばかりは、優勝が懸かっているというゆゆしい事態であります。3時に起きられるように、テレビにタイマーをかけて寝ました。実はこの前のスエーデン戦もみておりました。見た感じでは大人と子供との戦い。また見様によれば、男対女子の戦い位の体格の差に見える。プレーがスタートしたときはこれではとても勝負ならないと感じました。はたしてスエーデン女性の体がちょっと触れただけで日本女性は吹っ飛んで行ってしまう。そんなことがピッチのあちこちに続発。ああ気の毒に、なぜ日本バレーチームのように体格の立派な選手を選ばないのかというもどかしさを感じていましたが、日本側女子があんまりころげて目立ち、相手側の反則が続発という事態になり、日本側はいいアドバンテージをもらえるという妙な展開となっていきます。大きな身長のスエーデン女性の回りからちょろちょろと小柄の体が駆け回り、いつの間にかボールの支配は日本側に回ってしまうという自体になり、相手を翻弄し始めるに及んでスエーデン側はどう攻めればよいのか茫然自失と言った状況になってしまった。あとはご存じのとおり。


 そしてアメリカ戦、世界第1位の実力チームである。自信もあり見るからに優越者の貫録がにじみ出ている。おそらく日本ごとき何ものぞという気概で乗り込んできたことは間違いありません。太平洋戦争で完敗したトラウマに憑かれている私の方がビビッているぐらいです。開始早々、もういきなり猛攻が始まります。硫黄島の戦いみたいに、凄まじい艦砲射撃です。日本側は防戦一方です。ああこれではもう長くはもたないだろうとあきらめかけたのですが、アメリカ側が蹴り込むボールがことごとくはずれていく。もう今回はダメだろうと思うとゴールの柱直撃だったりとしてどうしてもゴールに入らない。アメリカ側も日本女性の身体状況を熟知してあまり体当たり攻撃をしない。かたや、日本側も厚い壁に阻まれ、なかなかチャンスをつかめない。ただ不思議だったのは日本側に全く焦りの色が感じられなかったことです。嬉々として走り回っている。そんな感じのところ、アメリカチームの方は何度打っても大砲の弾が塹壕にこもったなでしこ兵士の頭の上を軽々飛び越えていってしまう体たらく。そして前半はイーブン。猛攻をかけたアメリカ側は休憩時間に「なんやこれ!」といった落胆に近い心境になっていたと思いますが、おそらく日本側は命拾いをして防戦一方で攻撃ができなかっただけ余力残していたと思われます。


 そして後半、またなかなか入らない。しかし何とかアメリカ側も力を振り絞り、後半に1点を奪う。あの時のアメリカ側選手の安堵に似た表情。おそらくもうこれで勝ったも同然と思ったとみます。見ている私もそう思いました。あとわずかなプレー時間しかなくそれを凌げば勝ちが転げ込んでくる。ここで、アメリカ側の力が抜けたと思います。『ほらやっぱり我々にかなうわけないでしょう?』そして、ボールパスして回すという逃げの態勢に入りました。その油断をついて日本側はぎりぎりの時間に、ゴールを決めてしまう。ついに、延長戦に持ち込みます。どこまでもくらいついていこうとするチームと、うるさい相手を早く払い落としてしまいたい願望にとらわれたチームの差が徐々に表れてきました。そして、これではと気を取り直したアメリカ側は猛攻を再開して10分ぐらいのところで長身の主将が日本の追従をかわし、これでもかとボールをゴールにけり込みます。すごい迫力でした。この時日本中は悲鳴と悲嘆の渦にのみこまれました。あと5分でアメリカ側の強力な防衛線を突破できるとはよほどの楽観主義者でも想定できない事態でした。それが何ギリギリの時間帯でいともあっさりと日本のエースが得点してチャラ。ほとほとアメリカ側は嫌気がさしたのではないでしょうか?


 PK戦に持ち込めばもうしめたものです。はるかにこまかな運動神経に恵まれた日本女性の独断場となりました。しかし、ここまで持ってくるのが大げさではなく奇跡に近いものではなかったでしょうか?日本も含めて、どの国も想定外と認識した瞬間でありました。心より申し上げます。おめでとうございましたと。




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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