秤屋会長のひと言

大航海時代の画家たち

8月28日、豊田市美術館へ行ってまいりました。フェルメールとフランドルの画家たちというテーマの美術展でした。本日が最終日で、日曜日ということで大変にぎわっておりました。わが社の歴史も350年を経過いたしておりますが、そのころのオランダおよび,現在のベルギーを含む地域で活躍した画家たちの展示会でした。現在わが社は、オランダに本拠地を置く同業者とビジネス交流を深めております関係上興味を持ったというのが本音であります。


 さて、フェルメールの作品はかの有名な『地理学者』であります。ふつう画題としては、しっくりと来ないものですが、本物をまじかで見ればそんなことはどうでもよくなります。借りた、レシーバ付きテープレコーダーの軽妙な解説と相まって2時間近くの一時をゆっくりと楽しく鑑賞させていただきました。


 ただ残念なことに、フェルメールの作品はこれ一本のみでした。21歳で画家になり、43歳でこの世を去った画家の作品は現存するものは世界で33点ほどしかないといわれる。あの有名な『真珠の耳飾りをつけた少女』はありませんでした。この時期の絵画を蒐集した人はドイツ人で、収容している美術館もドイツ所在のものです。今回海外に出るのは初めてで、おそらく今後は海外に出ることはないだろうといわれております。現在日本が借り出せたのは、たまたま収容している美術館が大改装を行っているため、その期間中のみ貸出するというチャンスに乗じたものでありました。


 さて『地理学者』ですが、観賞に出かけるまで、画題にしては妙なテーマだなという感じでした。中世15世紀~16世紀のころといえば、まだまだ、教会勢力の影響が強い時代です。テーマといえば、スポンサーは教会か支配層である貴族階級ということで、聖書に基づく宗教画ばかりです。ところが、突如といいますか、それまで考えられたこともない一般市民が主役の絵画がフランドル地区に登場したわけです。そしてその代表作がこれなのです。もちろん、この地区では有名さではフェルメールを凌ぐ、レンブラントという巨匠の傑作『夜警』も登場するのは一般市民です。ちなみに、30年ほど前に、アムステルダムのオランダ国立美術館で、お目にかかっております。30人近い群衆の集まりを描写したものですが、当時は、まだ絵画への警備も緩やかで、手を伸ばせば触れることさえできそうなところにありましたのが、いまおもえば、とても印象的でした。


 ところで、これまで、個々の絵画としてなんとはなしに認知いたしておりましたが、なぜこの地区にこのような画期的なテーマの転化が起きたのでしょうか?改めて不思議に思いました。会場を埋め尽くす大半の絵画は、農民の生活・・風俗画というジャンルのものか、宗教色のない風景画、またリアルな静物画など、現代につながる思想的背景を暗示する作風の意味がこの展示会をみて初めて知りました。


それは当時のオランダが、スペインの桎梏を粉砕し、一般市民が東インド商会を起こし、世界貿易に乗り出した時期に対応いたします。日本にもやってきて、徳川家康の庇護を受け、日本貿易を独占したように、しっかりと、稼ぎまくったということです。大航海時代の世界貿易に大成功したおかげで、市民は裕福になり、貴族、教会の財力おおきくしのぐようになり余裕ができた。そこで裕福になった市民からの注文が多数寄せられるようになり、画家たちはこれまでの制約から解放されそれぞれが得意とする分野での活動を始めたということです。つまり大航海時代の到来が絵画の歴史に素晴らしい句読点を与えたということです。世界を相手の貿易には、地理の研究が欠かせません。そこで、この『地理学者』の登場が必然性を帯びるのだということがいやでも伝わってまいります。主人公は机の上に、地図を広げ、コンパスを手に何やら考えているポーズをとっております。後ろの戸棚の上には、地球儀が置かれております。着ている衣服は日本風の着物ということも言われております。これを着られるのは相当社会的地位の高い人物といわれており、当時の地理学者は当然社会的エリートということになります。そして、人類史上、転換期を飾る絵画の登場人物として永久に保存されることになったわけです。まことに良き絵画展でありました。


美術展にて


ご参考資料




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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