秤屋会長のひと言

ある不思議な体験 4

これから紛争の置きそうな国境線に向かうとは“どうなっているの?”を20連発ぐらい頭の中で発しながら、もしやこれは拉致監禁?などしょうむないことを考えながら、同行者には強がって、これから前線視察に赴く将軍みたいだなどといっておりました。ソウル市街を通り抜ける際の交通の混雑はどこの都会でもある朝の通勤ラッシュです。30分ぐらい走って、ようやくソウル市街を抜け郊外の山村に差し掛かります。外の風景は緑濃く、湿気の多い田園地帯、と森林が続きます。だんだん道は狭くなります。道の途中に両側から城壁のようなものが道にまたがり、アーチ状の門をくぐると、道は左折します。曲がった途端、目の前に、なんと馬鹿でかい戦車が砲門を北に向けてドン―と居座っておるではありませんか!しかもカービン銃を背負った迷彩服ヘルメットの兵士が一個小隊こちらを睨んでおります。通してくれるのだろうかと一瞬思いましたが、止める気配もなく見ているだけ。帰れといってほしかったのにね。何かタイムスリップして第2次大戦の欧州戦線に迷いこんだのか?目をつぶるようにして、そこを通り抜け、やはりこれは冗談ではないぞと背筋が冷たく感じられアドレナリンが体内を駆け巡ります。同行者も顔色がありません。


 そしてまた10分ぐらいたつと、道が折れ曲がります。そして曲がった途端林の中に、今度は機銃を備えた兵員装甲車が潜んでおりました。やはり周りに兵士が警備態勢を敷いておりました。いずれも不意に現れるという様子から、わざと道をくねらせて兵員の隠ぺいを図っているのだなとわかりました。見通しの良い道がないということですね。国境線にちかづくにつれ、人家もまばらになります。1時間ぐらいきたところ、今度はなんと、色もきらびやかで、ど派手なコッテージの集団が道の両側に現れます。まあいえば遊園地風リゾートといったところ。運転手に聞きますと、笑いながらここは若い恋人たちの憩いの場ですという。なんだ連れ込みホテルかい(表現が古い)と同行者。何ともちぐはぐな状況にますます訳が分からなくなります。それにしてはあまり人がいないねというとまだ朝ですよと返されました。そしてまた10分ぐらいたったころ、今度は、なだらかな坂を上ります。小山の両側は深い森になっております。上がるにつれて道は2車線から、1車線になり、頂上に着くと、途端に、道の両側が堅固なぺトンで固められており、分厚い背の高い巨大なU字溝の中を通るようなものです。普通の乗用車はまあ通れますが、トラックなどはすれすれ、間違ってもすれ違いはできない。わざと狭くしていることは歴然。これはこちらから聞くまでもなく、運転手君が、これは北からの戦車をここで止めるためのものですと説明。両側は森林、迂回はできない、確かに戦車はここで立ち往生でしょう。機動部隊の侵攻はここでとめる?あとは空軍が始末する?どうでもよいことを語り合いながら、道は下っていきます。とにかく道を曲がるごとに装甲車と兵隊さんたち!いざ戦争が始まったらこの兵隊さんたちはどうなるのか?


 再び、右側は広く広がる水田地帯に入ります。左側は森林地帯。道路以外は車馬は通れない。考えてあるなという感じ。ここでは防御側は何を考えているのだろうと思う間もなく、地雷を踏んだわけでもないのに、車が異常なバウンドを始め、油断していると天井に頭をぶっつけます。これはなんだと聞きますと、車が高速で走れないように、50メートルぐらい進むごとに、道路を横断して10センチぐらいの高さのアスハルトの枕状の隆起が作ってあります。この上を通過するときの上下動なのですと。もしこれを無視してつっぱしったら、舌をかんで、体はバラバラになる?とにかく、隆起に近づくと嫌でも速度を落とさなくてはならない。北朝鮮機動軍の侵攻速度を落とさせるためのもの。そのような障害レースのドライブを、1時間ぐらい続けてようやく目的地に着きました。たしかに2時間の行程でした。2時間のドライブでこんなに疲れた経験は初めてございました。お出迎えの社長の“おつかれさま”のごあいさつはまことに実感のこもったものでありました。


 これが、金日成総書記(金正雲現副書記?の祖父)死亡(1994,7)の2日間の私の不思議な体験のあらましであります。今回もこのようなことが起きていたのではないでしょうか?                           以上




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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