秤屋会長のひと言

ある不思議な体験 5

こうしてようやくたどり着いたのですが、お出迎えの面々はいとものどかなたたずまい。こんな時に大丈夫ですかご迷惑ではないですかと聞いても、いつものことですからという。これがいつものことかとあきれましたが、何を言ってもそれ以上の対応はない。工場見学も何でもない雰囲気のまますみ、昼食をとりながら、社長と話しましたが、現在の非常事態宣言は気にしていないのかと聞きますと上記のような返事しか返ってこない。自然と話題にしがたくなり、話は実務に入りましたが、今になってはこちらの方は何を話したのか全く記憶から欠落。その後このような日常と非日常との大きな落差に疑問を感じ、それとなく調べたり聞いたりしたらまた新しい事実が浮かび上がってまいりました。在日のエージェントさんも真相は知らなかったらしいので、一人騒いでいるようなところがありました。


 実は、かって、北と南が死力をふるって相たたかった、いわゆる朝鮮戦争にさかのぼります。この戦役の発端は裏面史として囁かれていることですが、共産国家の外交官が、アメリカの女性外交官にさりげなく、南北の国境線で紛争が起きたらどうするつもりですかと聞いたところ、その女性外交官はあっさりと、我々の防衛線は日本列島であるというようなことをいったらしい。それを聞いた共産側の外交官は、南の韓国はアメリカはいざとなれば捨てると踏んだところに悲劇の幕が開いたといわれております。それならばと北朝鮮軍は一斉に南に侵攻を始めたということらしい。ところがそれはその一女性外交官の井戸端会議的な発言に因があるという何とも歴史の怖さと不条理に戦慄を覚えます。さしてまた戦争の始まりにおいて、南側の韓国軍はほとんど軍備らしい軍備も整えておらず、北側の動きも見落とし、一方、北側は十分の準備を整え、満を持し、絶対の自信を持って殴り込んできたわけです。そしてまた皮肉なことに、首都防衛軍の最高司令官が侵攻の当日、休みを取って、不在。2時間ぐらい連絡が取れなかったと聞いております。韓国は当然大混乱に陥ります。侵攻が始まって数時間のうちにソウルは陥落という体たらく。漢江の北から南に逃げ出してきた避難民は,漢江に阻まれ、数少ない橋に殺到し、結局は多数が川に落ち溺れ死んだといわれております。現在はそれに懲りて漢江には無数の橋がかけられております。


 つまりこの時の不甲斐ないばかりの失敗がトラウマとなり、これ以後韓国は何か北の変事があれば、遅れを取っては悲劇をまた繰り返す羽目に陥りたくないないという骨の髄まで貫いた覚悟ができているということです。これでようやくこの騒動のいきさつが理解がいきました。                  (完)




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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