秤屋会長のひと言

"はやぶさ"遥かなる帰還

 わずか500kgそこそこの物体が、2億キロのかなたの宇宙で行方不明。電源喪失により通信も途絶えてしまった。誰しもがそこには絶望しかないと思う。しかし日本人の魂はそれをゆるさなかった。自ら創造したものに対する絶対の信頼に賭けて、ひたすら待ち続けて1ヶ月半。そこに奇跡がおきました。忠犬ハチ公的なハヤブサが時空を超えて、忽然と舞い戻ってまいりました。スタッフたちは感激の嵐に酔いしれます。どうですかこの感激を共にしてみませんか!日本人のみに許されたこの“絶対にあきらめない”精神力。そこには日本が誇る科学技術力が裏付けとなっております。われわれも、ものづくりの現場にいる人間です。またこの時代に共棲している日本人として前代未聞の壮挙を目の当たりにできる幸せと、物づくりの現場で我々に課せられている責任を改めて実感いたしたい。
 このような意図を持って、弊社研修カリキュラムの一環として、この度2月27日、28日2日に分けて ”はやぶさ” 鑑賞を実施しました。今回は、鑑賞後の弊社社員感想文の中から、東京営業所小熊所長の感想をご紹介致します。


映画「はやぶさ」を鑑賞して                        
 小惑星探査機「はやぶさ」を取り巻く人々の7年間を描いたこの作品は、その偉業はもとより個人あるいは組織としての葛藤・決断・苦悩・喜びを表現した非常に泥臭い映画に感じた。皆さんは特にこのような人間ドラマを描いた映画を観るにあたって、その登場人物に自身を投影し感情移入するのではないでしょうか? 少なくとも私はそのようなスタイルで鑑賞します。
 では、皆さんはどの登場人物に自己投影したでしょう?主人公であるプロジェクトマネージャーの山口(渡辺謙)でしょうか?それともイケメンエンジニア藤中(江口洋介)?町工場の社長東出(山崎努)でしょうか?自身の社会的地位や憧れ・年齢によって様々でしょう。私は、その中でイオンエンジン開発のNEC森内(吉岡秀隆)と貧乏町工場の社長東出(山崎努)に非常に強い感情移入をしました。はやぶさ生還の為とはいえ、イオンエンジンを本来の目的外で運用する提案に「私はメーカーの人間です!!」と声を荒げた森内のその心中を察すると、身震いを覚えました。
 根っからのエンジニアであるに違いない森内は、はやぶさ生還のために自ら携わったイオンエンジンをどのように使うか、どんなイレギュラーな使用方法が可能か?、その癖や性格がよく分かっているはず。エンジンに家族の名前を付けることからもその思い入れが非常に強いことがわかる。本当ならば、自分の分身同様のイオンエンジンの可能性を追求したいだろうし、はやぶさプロジェクト成功のためには想定外の使用方法や理にかなわない挑戦もしたいだろう。しかし「メーカーの人間!」なのである。イオンエンジンを問題なく運用し、その後の販売につなげる責務を負っているのである。その葛藤・憤りが「わたしはメーカーの人間です!!」という怒声に集約していたように感じた。NECのエリートは、歴史的なプロジェクトの表舞台にたち社運を背負っているがために好きな仕事を自由に出来ないのである。
 一方、貧乏町工場の社長 東出は収入も低く、家庭事情も芳しくないパッとしない人物として描かれるが、はやぶさプロジェクトの一翼をになう職人であり、採算度返しで好きな仕事を好きなように、まさに男のロマンを追っている感じがする。この森内と東出が非常に対照的で、しかし最終的には はやぶさプロジェクト成功のために殻を破り一歩踏み出すことで新たな自己を見出すという共通の成長を遂げるのとても胸を打たれた。
 ひとつのプロジェクトを中心に、組織のリーダーとしての決断、組織の一翼としての自己犠牲、政治的なサポートをすべく葛藤、立場や役割が様々な個人が、ひとつのプロジェクトを通じお互いに争い・認め合い・支えあう。ものづくりをする企業に在籍する社員にとってこの映画に登場する人物の誰かに必ず自己投影できる人物がいるでしょう。個々人が団結し同じ目標に向かった時の組織としての力強さを感じたのではないでしょうか。
 また、惑星探査機「はやぶさ」が自己を大気圏で消失しながらもカプセルを未来のために残す事と、技術や研究内容を後世に継承する人間の未来への期待がリンクし一体感を高めている。メーカー勤務者として非常に得るものの多い面白い映画でした。
 また守随工場勤務社員を羨ましく感じました。やはりエンジニアはいいですね!




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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