スリーハンドレッド4
前回スリーハンドレッド3の続き
ここまで書いてきましたら、日本ではノーベル化学賞受賞の報に沸きに沸いてきており、さらに10月10日、憲法第9条を戦後60年以上保持してきたことに対して平和賞受賞の可能性があるという報が伝わってまいりました。
実はこのニュース、スリーハンドレットについて、こうして書いる事と関連しております。
主権とは何か?平和とは何か?自衛とは何か?
それを、このペルシャとギリシャの戦役を通じて論じたかったからです。隣接する超大国との付き合い方、いま日本が置かれている状況は、極めて当時のギリシャの状況と似ている。ないしは近づきつつある。
ここで物語に戻ります。
賽は投げられたのであります。スパルタの王は自らの決断により、ギリシャ全土の盟主としてこの戦役の先頭に立たなくてはならなくなります。生死にかかわらず、王自ら先頭に立って出撃するという西欧の伝統はここに始まるのではないでしょうか?いわゆるノブレス・オブリージュ(noblesse oblige:貴族の高貴な責任)という伝統の始まりもこんなところから始まっているのかもしれません。まあ、とにかく準備が整っておりません。大軍相手に戦うための準備ですから、期間が長いほど有利になります。ペルシャの大軍は確かにギリシャ相手では格差がありすぎるわけですが、逆にそれが兵站の負担となり、ロジステックは並大抵ではありません。ギリシャ側は自国を戦場にして戦うわけですから補給は容易。
ともあれ、準備期間が長いほど勝利の確率が高まるわけです。王を中心としたスパルタの精鋭約300人と全ギリシャのボランティア兵団が結成され祖国防衛戦争を戦うわけです。全滅は覚悟の上という特攻部隊です。こうしてみると、特攻は何も旧日本軍だけの専売ではないみたいですね?
さらにギリシャは地元の土地勘を十二分に生かして、戦場を選びます。
ぺロポネス半島の付け根部分は山脈が横断して大軍は山越えでは超えられない、半島の東側にある狭い崖道を通って侵入するよりない。そのもっとも狭隘な通路をギリシャ軍は抑えます。片側はそそり立つ垂直の山、片側はやはり垂直に切り立つ崖で急角度で海に落ち込んでいる。道幅はせいぜい10メートル程度。ここでギリシャ軍は全滅覚悟の消耗戦を挑みことになります。
対するペルシャ軍は頭から呑んでかかります。なにせ100万対1千人。あっという間に突き破るものと信じて出撃を命じるのですが、来てみると、戦場は10数人しか戦えず、大軍で包囲殲滅するという作戦は取れない。ギリシャ側は負けたら民族消滅を覚悟しなければならないというぎりぎりの状況に立たされているのに、ペルシャ側からいえば、あえて戦いを挑んでくるのが理解不能で、ギリシャ全土が発狂しているのではないかぐらいに受け取っていても不思議はない。100万のペルシャ軍に対抗するギリシャ兵士の数は1000人足らず?この戦役の後2500年後の太平洋戦争末期、硫黄島日米攻防戦が思い浮かびますね。アメリカ軍は15万人、日本軍は3万人で対抗。ペルシャ対ギリシャの戦役の異常さがわかります。 (続く)