秤屋会長のひと言

藤田屋と守隨本店ー研修旅行2015

今回26年度の締めくくりとして、浜名湖湖畔にあるグランドエキシブ浜名湖にて研修旅行を行いました。昨年は同じ時期、研修旅行を琵琶湖湖畔にて行いましたが、浜名湖は琵琶湖に比べ、規模は小さいものの太平洋とつながっての壮大な景観は開放感あふれる南国ムードいっぱい。ヤシの木がたくさん景観の中で生い立ち、湖畔の夕景などを撮影してみるとさながらハワイのワイキキといった気分。裸足で走りだしたくなる解放感に満たされました。


ただ今年度は浮かれてばかりはいられない1年でした。

消費税アップの影響はじんわりと景気の重石になり、御多分に漏れず売り上げ減となりました。しかし安倍首相の決断により2%アップの実施を2年延長と決まってからは「それっ!」とばかり、見送られていた設備投資が猛然と立ち上がり、第4四半期には当分の間破れそうもない月間売り上げを計上いたし、ようやく恥ずかしくない成績に落ち着きました。
皆さんはかがですか?


さて、そんな下での研修旅行、今回は経営コンサルタント会社“サティス”社から梅津社長に臨席を賜り、これまでにない大規模な経営計画を発表いたしました。昨年の12月にスタートし、1月2月と全社員参加型経営計画達成のための会合をもち、これまでのトップダウン方式よりボトムアップの方式に切り替えました。もちろん社員全体のモチベーション向上のためのものです。


固い話はこれまでとして、翌日の回遊では舘山寺ロープウエイに乗り頂上にあるオルゴール館を訪ねました。全国的に見てもこれだけの大規模な展示会場は私の知る限りはありません。エジソンが蓄音機を開発するまではこのオルゴールが世界のオーディオ機器として君臨いたしておりました。古くはなんと日本の室町時代に作られた製品も展示されておりました。どれも奥深く、澄み渡った、素晴らしい音色で、宝石箱程度のオルゴールの音色しか知らない私にとっては驚異的なものでありました。一旦は消え去ったものでも、いまに残るにはそれだけの理由があると認識を新たにいたしました。一見の価値あり。


ついで向かった先は、表題のうなぎの藤田さんです。うなぎの藤田は浜松きっての老舗で、曾祖父の時代、浜名湖からとれる天然うなぎを桶に入れ生きたまま肩に担いで、静岡から、埼玉、甲府の方まで売りに歩いたと言っておりました、そのため曾祖父の右肩には、子供の頭ぐらいのこぶができてしまったと当代の社長さんが見送りがてら、駐車場まで来たついでの話をしてくれました。しかし甲府といえば、かなりの距離になるので「どうしてそんなに遠くまで行ったのですか」と聞きましたところ、いやもとは、先祖は甲斐の国出身で、戦国時代には武田家の侍として奉公いたしておりましたと、いきなり時代劇もどきになってまいりました。


さあ、そうなれば私の出番です。守隨はかり座の初代そのものは信玄公の直孫であり、戦国武将の直孫から始まり工業製品を400年以上作り続けてきているのは他に例がありませんねと説明いたしましたところ、話が一挙に宙を飛び、時間を超え弾みだしました。藤田屋さんの家紋については武田菱を丸で囲む典型的なもので、確かに武田家の侍に相応しい家紋ですねといったところ、イヤー実はこれは,藤田の、田の字をデザインしただけで似ておりますが、本当の家紋は別にありますというので、さらにお尋ねしたところ、なんとなんと下がり藤とおしゃいました。ここでまたカウンターパンチがさく裂いたしました。実は早川である私の家紋は、同じく下がり藤です。下がり藤は武田家の一族のうち、フジワラ系の先祖を持つ一族の象徴です。それと同じ家紋を持つということは藤田屋さんとは、かなり近い親戚同士ではないかということになります。同じ武田の侍でも一族となれば連枝ということになります。


これは不思議な巡り合わせとなりました。オルゴールの古き良き時代と鎌倉室町時代の御先祖を重ね合わせながら、感慨にふけりました。また浜松にいったら、藤田屋さんを訪れよう…。


藤田屋の件
ここで店主さんから聞いたエピソードをご紹介いたします。
現在の藤田屋の場所はその当時、街道に面していて茶屋があったそうです。
そこでいきなりですが、時は、450年遡り西暦で1573年代になります。かの有名な武田信玄と徳川家康との三方ヶ原での合戦であります。家康公は侵略してくる武田軍に負けるとわかっていても、武士の意地で挑戦いたしました。しかし相手は天下の名将武田信玄、結果は無惨な敗北。
多くの部下を失い討ち死させながら、浜松の居城へ逃げ込む途中、あまりにも空腹に耐え兼ねて、目についた茶屋に入り込み、腹ごしらえをしていました。おりしも容赦ない武田軍の追撃の軍馬の接近を知り、慌てて席を立ち逃げ出しました。
しかしその時、その茶屋の老婆は家康公の馬の後を追いかけて、なんと飯代を払えと迫ったそうであります。おそらく家康公は、苦笑しながら、代金を支払ったのではないでしょうか?それからそのポイントの地名は「銭取り」という名前になったそうであります。
今の藤田屋さんからすぐ近くとのこと。恐らく藤田屋さんのご先祖はその追討軍の司令官だったかもしれません! 歴史というものが地名に反映している書冊が市販されております。一度読んでみたいと思いました。


35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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