秤屋会長のひと言

悩ましい憲法9条

憲法9条を不戦憲法とし「この憲法のおかげで我が日本は、戦後70年もの間一度も戦争をしなくて済んだ。」というのが、集団安保反対派のご意見のようだが、うぬぼれも甚だしい。その間、日本にどれだけの抑止力があったのか?もしアメリカと同盟をしていなかったらどうなっていたか考えたことがあるか疑問である。今回は私の学生時代の話をしよう。


 

第2次大戦後、すぐにアメリカはソ連と冷戦時代に入った。アメリカは、もし日本が共産圏の手中に入るとパワーバランスは一挙に崩れ、全世界が共産主義の支配下に置かれることを恐れ、日本に対して手厚い保護をあたえてきた。その一環が60年安保である。奇しくも安倍首相の祖父の岸首相が命がけで条約を成立させた。事実その後、岸首相は暴漢に襲われ、太ももに重傷を負った。

当時、学生であった私もデモ参加を先輩から半ば強制させられたものです。今のデモなど子供のお遊びみたいなもの。猛烈な反対デモ。新宿騒乱事件として記憶にあるが、我々の大学はその新宿駅が分担で、駅の線路に座り込みを依頼してきた構成員の電話が忘れられない。この時は死者まで出た。

 

今から言うのもなんだか気がひけるが、なんとなく極左が支配するこのデモには参加できないと感じていた。ヘルメットと鉄パイプを持って公共施設に乗り込み自説を通そうなど、どこに正義があるのかとも思っていた。下宿には20人ぐらいの学生がいたが、ほとんどは参加せず、見物してきたと言っているのが2から3人程度である。

 

今になってみれば、この時の反対派は、とどのつまりは日本を共産陣営に引き込みたいがために行動を起こしたものである。安保が成立してしまえば、日本が自由主義国家間の定位置が確定する。それが許せなかったのである。支持層を広げるため、その真の意味は、反対のための反対論で隠蔽されていた。大半の学生は察していたと思う。扇動はまことに巧妙であって、絶対に真意は明かさない。純粋な一部の学生や、またあまり考えることをしない従順な学生が参加していた。

自分に都合の悪い現実は誰しも認めたくないであろう。後日わかったことだが、当時、左翼にはコミンテルンから豊富な資金が回されていた 。それが活動資金源となっていた。

 

今回のデモを振り返ってみよう。上記のごとく、日本が抜け穴だらけの個別安保のままでいる方が「自国の国益に益するところはどこであろうか。」という事がある。そういう国がなんらかの形で関与していないか?集団安保=戦争安保といかにもわかりやすいスローガンで押しまくってきている。これは日頃政治に無関心な大衆に取ってわかりやすい。大衆の思考はここから始まることになる。マスメディアも大衆迎合主義。民主主義の怖いところはここにある。

多数決万能主義の政治形態は、多数の人間の判断がいつも正しいという前提がなければ成り立たない。どう見てもデモに参加している人々を見るにつけ、また煽りかけている人たち、例えば、民主党の大物などの言動・・・見ていられない。安保法案成立後、大衆はデマゴーグに弱いということを承知で泣いて見せている。これらが我が国の最大野党の代表である。はずかしく思う。こう書いてくると私は自民党崇拝者かと言われそうであるが、彼らは我々の使用人にすぎない。この力で押すということに味を占め、今後日本を勝手に切り回そうとするなれば、それは思い上がりである。厳重な警戒心を持って監視していく必要がある。

 

ここで少し空想をしてみよう!「もし安保条約がなかったら」

 

日本がアメリカから必要とされず、接触が切れ、独立していたとするとどうなったであろうか?おそらく、お隣のソ連が、早速仕掛けてくる。まず北海道の日本漁民がソ連の定める禁漁水域を超えて侵入したとして、その発進基地を調査するとして、日本政府に通告する。返事がどうあろうとも、軍艦を派遣し北海道の北辺の漁港に上陸。監査官を保護するためとして、軍隊を上陸させる。そしてそのまま居座る。

(憲法9条を守る為?)日本政府はなんとか穏便に済まそうとソ連本国の大使館を通じて抗議をするが、まだ調査が済んでいないと称して撤退しない。それどころかこの漁港だけではなかったとして、他の漁港にも軍艦を派遣、軍隊を上陸させる。

つぎには、密かに兵隊を動かし、近隣の村落を襲い、男を殺し、婦女子を犯し、財物をかすめ取るなど乱暴狼藉を図る。こうなれば日本側としても放置出来なくなり、警察を出動させるが、戦力がおそらくソビエト連邦軍の足元にも及ばない。そこで自衛隊が出動、ソ連はこれを「待ってました。」と、ソビエト連邦軍の自衛のために軍の増強を正当化します。日本を助ける国はどこにもいない。国連も拒否権の前に無力。日本の自衛隊は祖国を守るため必死に戦う。しかし戦力の差は歴然。日本軍は一部は全滅ないし降伏。主力軍は弾薬つきて多数の死傷者を出しつつ、じりじりと後退するばかり。そのうち、北海道の北半分はソビエト連邦国の占領下に陥る。その辺りでアメリカ等が出てきて仲裁に当たる。そしてうまくいけば、不可侵条約を結び、日本は北海道の北半分をソビエト連邦国に割譲させられて終わる。そして、それ以後もその条約はソ連の自制?の元に守られるかどうかはわからない。ウクライナ、クリミアの例を見る度、ありうる現実と思える。

 

 



35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

カテゴリー