秤屋会長のひと言

易と私16

私が30代の後半の頃、推理小説作家の高木彬光という売れっ子の作家が、巧妙な推理 とサスペンスを売り物に多数の作品を発表いたしておりました。そのなかで、一連の作風とは全然異なる「易経の神秘」(この題はうろ覚えで違っているかもしれません)という標題の作品を発表いたしました。たまたま書店で見かけたので、驚きながら買い入れました。もちろん私にはそれまで易との係り合いの歴史があります。これは面白いと躊躇なく買い入れました。なかみは、易経を構成している64卦の一つ一つの卦に、昔からの実占例を具体的に紹介しているのです。このような有名な作家が手がけるテーマとしては意外に思いました。おそらく2度とないだろうと思いながら手に入れました。



さてそこで、近代における易聖として高島嘉右衛門の有名な易断例を紹介いたしております。みなさんご存知でしょうか。明治を代表する政治家伊藤博文侯爵に関する易占例です。


日本国においてはじめて国会を開き初代総理大臣となった人物です。当時、朝鮮は日本と手を組み、北方ロシアの脅威に対抗しておりました。その朝鮮を支配する総督しての地位をも兼任いたしておりました。いわば、日本を代表する高官であります。


この高官と高島師とのつながりは、高島師の娘さんが、伊藤博文侯爵家の子息に嫁いでおり、縁戚関係にありました。余談ですが、青年時代、監獄で生死の境をさまよっていた前科者の人物の娘さんが当時日本を代表する政治家の家、しかも侯爵家に嫁いでおるのです。もちろん、実業家として大成功しているといっても出身も庶民にすぎない人物の娘さんがどうしてということです、本題とは関係ありませんので省略いたします。ともあれ、トップは孤独なものです。自分の決断が日本の運命を左右するという立場の人間は通常であればそれこそ身を削ぐ苦しい思いでことに対しなくてはなりません。その時身近に、100発100中の易断が行える人物がいてくれたらどんなに心強いものか想像がつきますね。そうです、まさしく、高島嘉右衛門こそがが易経を武器にした、明治を代表するフィクサーだったのです。ともあれ 日本は世界の超大国相手に戦争をし、清国、ロシアを撃破し、世界を驚かせ、強国に列する位置を捉えることになりました。しかしながら悲しいことに、帝国主義時代の新参者、欧米からは侮られ、戦争に伴う賠償金や領土割譲では三國干渉など、列国に思うようにさせられず、戦争で払った犠牲に見合うだけのものを得られなかった。しかしその時の強烈な圧力の中での決断は、後世、日本のピンチを救った見事な政治判断と大いに評価されておるようです。これらも黒幕の人物高島嘉右衛門の存在が影響を与えており、なんとその当時の占例までが多数残されております。驚くことに、占った結果を新聞発表などしているのです。現代ではあり得ないことです。というのも彼を凌ぐ実力易者がいないということでもあるわけです。

一国の最高責任者で有名な例ではアメリカのレーガン大統領の例があります。レーガン大統領の奥さんは 占星術に詳しく、ことあるごとに、それをを駆使して夫を助けたといいます。この大統領はアメリカ大統領の中で最も優れた業績を上げた偉大な大統領と言われております。その中で最も注目されるのは、ソ連との冷戦を終わらせ、ただのロシアに後退させ、ソ連の時代の圧政に苦しむ衛星国を解放したという歴代の大統領が果たし得なかった偉業を、戦争なしで成し遂げたといいます。奥さんの占星術が威力を発揮していたと、マスコミの間で、最高機密として当時,囁かれておりました。

太平洋戦争直前まで、高島師が生存していてくれたらと残念に思います。おそらくパールハーバーや、ミッドウエイ海戦もなかったでしょう。

ともあれ、ここでご紹介する占例は、伊藤博文公が外遊先で暗殺されることを事前に察知し出国を中止すべきとした、高島師の警告。それを聞きながら、一国の長たるものが約束を違えるわけにはいかないとして、朝鮮から満州国へ出かけました。どのような占を立てたのでしょうか。続く




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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