秤屋会長のひと言

私と易20

さあ、ここで30年近く時間を遡りましょう。平成元年の前後です。当時、日本経済は国が始まって以来の盛況、イザナギ景気を謳歌しておりました。そしてこの繁栄は永 久にに続くと信じて疑わなかった。諸外国の経済学者も日本経済の繁栄を誉めそやす始末。未来のことはわからない浅はかな人間のハマりそうな笑えぬ喜劇であります。1989年、この歳は極めて歴史的にも大事件が発生いたしております。ソ連邦の解体であります。これで尚更自由陣営は舞い上がりました。資本主義経済の勝利と。


ところが皮肉なことに日本経済はこれ機に転落の道へと転げ落ちていきます。いわゆる不動産バブルの崩壊であります。その2~3年前ころ、当時に日本は未曾有の金余 りで、金融筋は民間の不動産取得への融資に熱狂いたしておりました。当然、土地や建物はとてつもない価格につり上がり、右から左へと転がしでも容易に買い手がつき、簡単に利益を得ることができ、日本中、にわか素人不動産屋が大手を振ってあるいておりました。なにせ、東京の環状線内の土地価格だけで、アメリカ合衆国全土を買い占めできると新聞報道などがされて、ますます狂乱の度を深めておりました。さしずめ、日本列島、オール松健サンバの状況。


さて、お恥ずかしいことに、私もブームに乗せられて、1987年頃より、本社ビルの建築を計画し始めておりました。バブル崩壊の2年前です。動機は、一つに、目ぬきの大津町通り幹線道路に面して、古ぼけた、木造平屋建ては周囲に比べて、貧弱さが目だって見苦しい。明らかに見栄が先立つ浅はかさであります。土地が自前ですから、建物の融資は銀行が引き受けますとか囁かれてその気になって、世間がそうなら我もするという理由にならない理由で計画を始めました。一旦動き始めればあの当時の雰囲気ではどうにも止まりません。着々と計画が進み、建築予算の見積もりを3通取りました。中心価格、6億2千万円という。銀行も同意、さあ、発注かという段取りになりました。


さすがこの見たこともないような金額、なんとなく虫の知らせというものがあるそうですが、お邪魔虫だったかもしれません。何か不安が脳裏を盛んによぎります。 あ!そうそうこういう時こそ易の神さまの助言にお縋りすべきだ!しかしこれだけの大事の判断をつけるのに、素人易者の私には当然重すぎる負担です。またどうしても、自分に都合の良い解釈をして失敗するという易占特有の罠に落ちる恐れもあり。これは本格的なプロの易占家に依頼するよりないと判断いたしました。お医者さんも自分が重病にかかったかもしれない時、診断が難しい場合は自分では判断せず他の専門家に診断を仰ぐというじゃあありませんか?(-_-;)


しかしこの時、ブームに沸いている中にあって、易は敢然と衰退の警告を発してお りました。今から思いだしても、背筋が寒くなる予言でした。


続く。




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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