秤屋会長のひと言

私と易25

さて平成5年の9月上旬、S建物社の若手営業から連絡があり、アポの要請でした。


担当営業としては商談が停滞し、なかなかうんと言わない私になんとかはやくクロージングに持って行きたいという目論見からでしょう。支店長及び営業部長も共ににご挨拶がしたいという申し入れでした。大変気が重かったのですが、これまでのこともありこれは断れないと覚悟して応じました。電話の向こうではホッと一安心の様子が伝わってまいりました。数日後、3人が訪れてまいりました。そこそこ名刺交換と自己紹介を済ませ、いよいよ締結へと相手はたいそう意気込んでおりました。同じ営業マンとしてひしひしと伝わってまいります。


色々と私ののらりくらりの応対ぶりに相当苛立っている様子がありありでした。支店長は一級建築士で技術屋ですからほとんど発言はなく駆り出されてきたというところ。いつもくる営業マンも随伴しております。




営業部長「社長さん、ご存知かと思いますが、同時にスタートした、他の2社は8月にご契約を頂きました。手付金も頂き、年末着工が決まっております。もうお宅様だけです。どうでしょうそろそろご決断をいただけないでしょうか?」
「うーむ、たまたま本業の方も忙しいので、何も急ぐことはないのでと思って先延ばししている。申し訳ない」さすが営業部長ともなれば決断を迫ってくるなと内心感心した)確か手付金は1億円だったね?」
営業部長「はい、いつ頃いただけるのでしょうか?」と定石通りの展開。
(もうこれ以上はとぼけてはいられないなと覚悟して)一瞬間を空けて「実は大変もうしわけないが、手付けを打つ前に、御社への発注は控えさせていただきたい」
営業部長「えっ、それはどういうことでしょうか?計画を中止されるのですか?」 (営業部長はすごい剣幕です。言い方も、高圧的で礼儀の一線を越えている)
(いささかムッとして)「実は私はこれまで、経験のあまりない、手に余るような物件に関して決断に困るような場合、易の判断に仰ぐことにしているのです。」
営業部長(たぶんに面食らった様子で)「それは一体どういうことでしょうか?」 (ここでも頭ごなしの物言い、こうなれば半ば喧嘩腰)
「御社は、バブル期のリゾート開発に深入りし、相当なダメージを受けて見えるという。それについては御社の方でもこれまでの商談の過程で認めていられたね」
営業部長「はいその通りです。しかしその件に関しては全く問題ありません。」

「自分の会社の信用を害するようなことはおっしゃるわけはないので、はいそうですかと済ますわけにはいけませんね。百歩譲って、現時点では大丈夫かもしれませんが、将来にわたって保証するということはおできにはならないと思います。」

営業部長(私の発言を遮って、建築屋らしいドラ聲で)「でも、他の2社は我が社を信用してくださってご契約を頂きましたよ」

「まあ、私の話を聞いてください。他社は他社です。私の拙いかもしれませんがこれまでの経験から易判断は信に値すると確信いたしております。その結果で不可と知りました。」

営業部長「それはどういうことですか、話が見えませんが」とやはり高圧的。

「失礼にもなるので、また、問題が問題だけに、あまり具体的には申し上げたくないのですが、構いません か」その頃はまだ風評被害という概念もなかった。


営業部長
「ええどうぞ構いません。」と支店長の方を見て合意を確かめていた。


「御社の運勢を占いましたところ、結論的に、間も無く城壊れて空堀のみのこる

と言う結論でした。契約など論外という厳しい判定でした。それが10年も先に起こることならいいのですが。易で占う期間は長くて1年から6ヶ月の間に起きることです。

これでは今から手付けを打っても完成できませんね。」


(その一瞬支店長と営業部長が慌てて視線を交差させているところが見て取れました。)


そこで会談は凍りつきました。このあとのことは記憶にありません。私自身も相当なストレスの中に喘いでおりましたが、一方では重石が一挙に取れほっ

とした記憶はあります。


平成6年2月7日 S建物倒産。



35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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