秤屋会長のひと言

私の八月十五日 part.1

八月十五日が近づいてきた。

昭和20年8月15日、私は10歳になっていました。その日は、天皇陛下による重大な玉音放送があるということで、正午に全国民は集まって ラジオの前で待機せよという回覧板が回ってきておりました。私はその時小学校5年生。岐阜県関市に疎開しておりました。母親と一緒に間借りしていた大家さんの家に行きました。10数人が集まって聞くことになりました。放送環境の良くないノイズ混じりの全国放送で、小学生の私にはほとんど聞き取れませんでした。ただ、「・・・耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」という部分だけは今でも耳に残っております。異常な迫力を子供心に感じ取れました。天皇陛下の無念の情がいかに強かったかわかります。 その数日前に、広島に原爆が落とされた新聞報道もしっかりと覚えております。一面に「広島に新型爆弾投下」の見出しが大きく踊っていたのを覚えております。長崎にも落とされたということまでは知りませんでした。


放送が終わった直後、強がって大人たちの一部は、この放送はもっと頑張れの陛下の激励のお言葉だということをいう人もいましたが、大家さんの態度見てみんな一様に察しざるを得なかった様子でした。母親の蒼ざめてこわばった顔を見れば子供でもわかります。


なつやすみの最中で、その後お使いを言いつけられて、自転車に乗り、真っ青に晴れ上がった空を見ながら、もう今日から電球傘に黒幕を垂らして屋外に光が漏れないようにして夜を過ごす必要は無くなったんだなと思い走っておりました。ふと見るとはるか向こうに黒いずんぐりとしたグラマン戦闘機がたった1機でゆっくりと旋回している様子でした。ああ戦争は終わったのだからもうこれで逃げ惑う必要は無くなったのだなという安心感がしみじみと感じられました。この日から日本は再び立ち上がり、再建に向けて大きく舵を切ることになったわけです。


参考文献
保阪正康 (2005)『あの戦争は何だったのか─大人のための歴史教科書』, 新潮新書.
保阪正康 (2018)『昭和陸軍の研究』, 朝日選書.
原田伊織 (2017)『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』 ,講談社文庫.




35年生まれの戦前派。早稲田大学政経学部で経済学を専攻。

略歴
60年中日新聞社入社。
67年(株)守隨本社入社。三県下に限られていた販域を全国区へ展開
74年同社常務就任:機械式はかりから電子式はかりへの転換にいち早く取り組み、成功。新製品を次々と発表。次いで85年よりプラザ合意後の円高を利用し、海外との交流を開始。海外優秀製品を日本市場へインプットし、吊り秤市場ではTOPのシェアを掌握した。
90年同社社長就任
以後、移動式計量機で産業界の物流システムに貢献した。
2016年代表取締役会長に就任
2021年代表取締役会長を退任

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